【草稿】夢日記日記

ちょっと前までは夢日記をつけていたのだが、最近はめっきりつけなくなってしまった。

自分がツイッターなどの人に見える場所に夢日記を乗せなくなったのはそれよりもずっと前だが、特にここ数ヶ月は夢を見ても記録をつける気分にならず、日記をつける手が止まってしまうことが多くなった。

一度こうなってしまうとえらいもので、夢を記録しないようになってからは夢をはっきりと覚えていられなくなってきた。そもそも夢を覚えていたというのも、脳が記憶を勝手に補填するようなもので、文章にするうえで整合性をとるために覚えている出来事同士のつなぎを考えている と言ったほうが実感に近い。決して楽しい作業ではないし、必要に駆られなくなったことでそれを一切しなくなったというだけかもしれない。

 

このような状態で、最近夢日記そのもののことについていろいろ考えるようになった。

自分は友人数名と「ブラックハウステンボス」というサークルを作り夢日記をまとめて同人誌にするということをやったことがあるが、せっかくそこまでのことをした割には最初に同人誌を作って以降はほとんど一切の活動がなく、(このままのことを直接聞いたわけではないが、数年に一度くらいのペースでただ本にまとめる 普段は夢日記を管理するための場所 というくらいの認識なのだろう)ただ自分の夢日記だけは更新が途絶えている中で、自分自身の中に「自分はもう少し何か活動然としたことをやっていたい」「でも、自分にとって夢は常に見られるものでもなく、(また、それに加え前述したような状態のために、)夢日記を自分が書くのは難しい」「このような立場ではあまり強く何かをするよう仕向けるというのも無理のある話であろう」という思いが常にあったのだ。

そこで今回は夢日記がどのようにして書かれているのか といった点について自分が考えたことを少し書き残しておきたい。

 

夢日記において、自分が調べて見うる限りで特徴的であると思ったのは、その文体の豊富さだ。

 

夢日記は、言ってしまえば「見た夢を、書く」という、内容についての要求さえ満たせばどのように書いたっていいのだ。(その夢でさえ、読み手が理解しやすいように脚注を加えたり、書き手である自分が思い出せない部分をある程度勝手に補填したり(完全な創作というわけにはさすがにいきづらいが)と、ある程度の加工はほとんど必然であるといっていい。)

そのような性質から、一口に夢日記といっても書き方にいくつかのパターンが存在するようである。これらをすべてパターン化して列挙するのは難しい。だが、いくつか指標を組み合わせることである程度の分類は可能になるのではないかと考えている。

 

抽象的な話になりかけていたので例を挙げる。(以下の指標はすべて自分が勝手に捜索したものである。)

『コト』重視度:夢の中で起こった出来事をどの程度重視している(記述が充実している)か。

『ココロ』重視度:起こった出来事に対して抱いた印象について、どの程度重視している(記述が充実している)か。

構成・創作度:どのくらい夢で見たありのままを書いているか。創作は度合いだけでなく、例えば文体などについても深くかかわっているので一筋縄でいく議論ではない。

造語の有無:そのまま造語の有無である。造語についても、意味のある言葉なのか、元となったであろう言葉はあるのか、など、いくつかの分類ができそうであるが、今ここでは特別行わない。